ティモールの言語事情

私はほぼ3年、主婦としてティモールに在住しておりました。ティモールで生活するにあたり、ティモールの日常生活に使える言語をひとつ学ぼうと思っていたのですが、さてどの言語を学ぶかで大変悩みました。

ティモールは、4か国語の言語が使われている国です。

  1. 現地の言葉であるテトゥン語。
  2. 長期にわたりポルトガル領で、その間教育がポルトガル語で実施されていたため、ポルトガル語。テトゥン語とともにティモールの公用語でもあります。
  3. 2002年に独立するまでインドネシアの占領下にあったことと、やはりその間インドネシア語で教育が実施されていたため、インドネシア語。
  4. そして、世界の共通語である英語。

現地語であるテトゥン語は、ティモール人の多くが話すので、もっとも使える言語ではあったのですが、当初1年か1年半くらいでこの国を出るだろうという話でしたので、一旦ティモールを出てしまうと、ティモール以外では通じないテトゥン語は、その後のブラッシュアップが困難です。ほかの国でも話されているような言語がいいと思いました。

次にポルトガル語。ティモールの公用語で、世界にポルトガル語圏の国は数あるし、日本にたくさんいるブラジル人との会話にも使えそうだし、私が、前々から話せたらかっこいいなぁと思っていたイタリア語など、ヨーロッパの言語と同じ語源を持っているから、なかなか有力候補です。

インドネシア語は?ティモールでは最近までインドネシア語で教育が実施されていたし、日本からティモールへ行くトランジットとして必ず立ち寄るインドネシアで使えるし、インドネシアはアジア屈指の大国で、マレーシアのマレー語との共通語源だし、これも魅力的です。

英語は、今もなんとか話せますし、ティモールにいる外国人の共通言語ではあっても地元のティモール人にはほとんど通じないという話でしたので、これはなし。

散々考えた末、ポルトガル語にしました。

さてそのポルトガル語を習うにあたって、日本でさわりだけでもはじめられたらよかったのですが、時間がありませんでした。現地にいってから習うことになったわけですが、日本のような商業語学学校は全くありませんので、まず、先生探しからです。

ポルトガル人もしくは、ポルトガル語ができるティモール人で英語か日本語が話せる人はいるか?かなり望み薄だし、そもそも一番身近にいたポルトガル人はアパートの大家だったのですが、英語もかろうじて通じる程度で、お願い事を理解してもらうことすらかなり難しそうでした。

だったらブラジル人はどうだ。ポルトガル領だったころから、ポルトガル語圏のブラジル人教師の多くがティモールで教鞭をとっていたそうで、今もティモールにもたくさんいるし、ブラジル人は一般的に英語もよく話すらしい。

また、ブラジルのポルトガル語のほうが、ポルトガルのポルトガル語よりポルトガル語圏の人たちの間ではイケてるイメージだということを耳にし、もう当初の目的はなんだったのかよくわからなくなってきたものの、とにかくブラジル人が経営しているというレストランに行き、英語でポルトガル語を教えてくれるブラジル人を紹介してもらい、授業を始めました。

さて習い始めて数か月、なんとか挨拶や数字、日常会話程度のフレーズがつかえるようになったときに、気が付いたことがあります。ティモール人の中でもポルトガル語が通じない世代があること。

年齢でいうと16歳くらいから下もしくは、33歳くらいから上のティモール人でないと、ポルトガル語が通じないのです。その間の世代である17歳くらいから、33歳くらいまでのティモール人にはポルトガル語の数字も通じないし、単位もわかってもらえませんでした。

よく考えれば最初からわかっていたはずのことだったのですが、インドネシアの占領下にあった間に主に学生だった人は、ほとんどインドネシア語しか習っていないからです。

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私がいた2006~9年の時点で16歳くらいから下の子供たちは、インドネシアからの独立前あたりから、再びポルトガル語による教育が実施されたらしく、ポルトガル語を理解します。

ポルトガル語が公用語だとはいえ、習っていないものを話すのは無理です。私はその事情が頭からすっぽり抜けていました。

結局、私は方針を変更し、数字や単位、使えそうなフレーズだけインドネシア語で覚えることにしました。野菜売りや、タクシー運転手などで、主力で働く世代の多くがすでにインドネシア占領時代の人であったので(ティモール国民の平均年齢は16歳、平均寿命は60歳くらいで、主力で働く世代が日本よりはるかに若いのです。)、より意思疎通できた感がありました。

ティモールにとってインドネシアは、独立をめぐって戦争をしていた国ですが、地理的にも隣ですし、物価もティモールより安いし、商業的にも進んでいますし、裕福とはいえないティモール人家庭でもなんとか子女を留学させたりもできるようです。遠すぎて行くことができないポルトガルより、ティモール人にとって今や身近で現実的な国のようです。

では、ポルトガル語はもはやティモール人にとって過去の言語なのでしょうか?先にも申し上げましたが、16歳以下くらいの子供たちは再びポルトガル語を勉強しています。

テトゥン語の中にも、外来語としてポルトガル語の単語がたくさん取り入れられています。ティモールにたくさんあるポルトガル系レストランやホテルで、ポルトガル語が使われています。

そして現大統領や首相はポルトガル語を流暢に話される方々ですし、私が会った年配めのティモール人で、特に政治家や教職などについていたインテリ層の方などは、ポルトガル語を話すことにとても誇りを持っているように見受けられました。今もポルトガルがティモールという国に大きな影響力を持っているという一例だと思います。

それにしても、驚くべきはティモール人の言語能力です。テトゥン語のほか、ポルトガル語教育からインドネシア語教育に移行していく過渡期に学生だった人たちは、語源に全く共通性のないポルトガル語とインドネシア語の両方を、かなりのレベルで話すことができます。

そんな親をもつ子供たちは、数か国の言語を話すのにきっとなんらの抵抗もなく、ゆくゆくは、英語や、将来働くことになる国の言語をいとも簡単に吸収していくのだろうと想像できます。恐るべし、ティモール人です。

【 筆者紹介 : ちはるさん 】
ちはるさんは、新婚生活を東ティモールでスタートされ、同国に魅せられた大和なでしこ・知的行動派です。愛用のトンボのネックレスといつも一緒に東ティモールを飛翔、前へ!(2006年~2009年在住)