東ティモールの弟

NGO活動のため東ティモールに赴任して2年半が過ぎました。当初は、通じない言葉、外国人をみる眼差し、冷やかしに馴染めず、特に男性に怯えて過ごしました。しかし慣れとはほんとうに恐ろしいもので、今では彼らの人懐こさや優しさ、ユーモアや笑顔に魅了されてしまっています。

初めは何も分からず、どうして?有り得ないでしょ?の連続でした。例えばある日突然、公道が閉鎖されテントが道いっぱいに張られ、葬祭を催します。当然、知らないので車が入り込み、身動きが取れなくなり渋滞。また暑いので男性は家では上半身裸。お客さんが来ると慌てて何かを羽織りますが、急いで着るので服がめくれあがっています。知人をみつけると何時間も話が弾み、バイクや車の簡単な修理は基本的に自分。何かにつけてツッコミどころ満載なのです、特に男性の行動は!ここでの生活に慣れると、ネタに尽きないここの男性の行動や言動がおかしくてたまりません。

そしてここで出会ったひとりの男性。元同僚でした。首都ディリの西側リキサ県出身の28歳。彼の話すテトゥン語が明瞭でなく、私が理解出来ないインドネシア語も頻繁に盛り込むので「もっとゆっくり話してよ、インドネシア語禁止!」と何度彼に言ったことでしょう。東ティモール国立大学卒業後、私たちと働きながら修士を取得。早くにお父さんを亡くし、お母さんが苦労をして大学まで出したのです。人懐こくて陽気、「日本の歴史教えて」「宗教は?」ととにかく知りたがり。長い時間を共に過ごしました。黙々と仕事をこなし、分からないことは質問する。真面目に仕事をこなす若者です。私が仕事で大変なときも何かと手伝ってくれました。

ある日、私はある小さな事件に遭遇しました。人影のない小路で子供に襲われたのです。幸い大事には至りませんでしたが、事件後しばらくして、彼にそのことを伝えました。いくら東ティモールに想いはあっても私にとってそれは心に傷を負うものでした。すると彼は「見つけ出したら親を殺してやる」と言ったのです。殺す、とは穏やかではありませんが、その言葉で初めて心のつかえが取れた気がしました。家族と離れて暮らすここでは何かと孤独を感じますが、一人ぼっちじゃないんだ、と強く感じることができたのです。彼が仕事を辞めるその日、思い出が走馬灯のように蘇り涙が止まりませんでした。結婚式にも出席させて頂き、いつしか彼を心から【東ティモールの弟】と思うようになりました。

先日も「マナ(姉さんの意)・トモミ、このままずっと東ティモールにいてよね」という彼に「じゃ、私の老後はどうなるの?」と聞くと「大丈夫、きっと年取らないから」。輪廻転生がもしあるのなら、前世でほんとうの家族だったのかも、なんて思うほど。彼に出会えたことにほんとうに感謝していますし、国籍などは書類登録上のもので関係ないのだ、と改めて感じています。

04/Sept/2013

【 筆者紹介 : 大坂さん 】
大坂さんは、優しく逞しい‘なでしこジャパウン‘。非営利活動法人PARCIC(www.parcic.org)の現地メンバー。首都から離れた山間地マウべシにて世界一おいしい‘カフェ・ティモール‘の生産支援や女性の地位向上のため、はちみつ、ソラマメチップ、ハーブティーなどの食品加工支援などに取り組んでいます。子供たちが‘トモチャン、トモチャン‘と慕う笑顔が素敵なお姉さん。