東ティモール通信 53通目

 日本の皆様、こんにちは。私の住むロスパロスではまだ雨期が続いています。毎日雨が降り、着ていない服を久しぶりにタンスから出すとカビが生えているなんてこともあります…((+_+))

 今月は選挙や雨の影響もあり、活動がうまく進まず、気分が落ち込む毎日でした。スタッフたちは、「そんなこともあるさ~」とあまり気に留めていない様子。外的要因で物事がうまくいかないとき、それを受け入れるスピードがはやいティモールの人たち。何もすることがないってときにはいいことなのかも。と考えたりしています。
 先月、日立教会の岩崎只一おじいちゃんが亡くなりました。私の幼少時代、日立教会に所属していた際、只一さんと、奥様のシズエさんにはよく面倒をみて頂いていました。東ティモールに行ってからも、日立教会で会うと笑顔を見せて下さり、この通信をとっても楽しみにしてくれていました。また、長年支援をして下さっていた方でした。ご冥福をお祈りいたします。
  
*東ティモールの人が信じているもの*
 先日首都ディリに住む日本人の友達と話をしていたとき、「東ティモールの人たちは独立闘争の後、なぜインドネシア人を許せたのか」という話題になりました。東ティモールの人たちに聞くと、「政治的な事柄がからんでいたから…インドネシア人自体は悪い人がいない」、「後ろを振り返らず前をみて生きた方がよいから」と、理由は様々です。これらの考え方・教えはカトリック的なものなのか、それともアニミズム的なものなのか?ティモールの人たちに聞いてみることにしました。


↑独立闘争時代(インドネシア)の商業省の事務所             


↑見張り小屋の建物の址

 ちょっと意外なことに、アボー(先祖)から伝わる考え方という答えでした。ティモールがまだ小国家だった時代、国(今でいう村のような小さな国家)同士戦い合っていた時代も、国に見知らぬ人が来た場合はその人のことを思って食事や寝床を準備したりしていたそうです。また、インドネシアと戦い合っていた時代にも、兵士たち一人ひとりに対しては、アボーの教えに従い、ご飯を提供したり、困っていること(例えば車が壊れた際)があれば手伝うこともあったそうでした。
 だから今でも、私たち外国人に対しても攻撃的ではなく(時と場合によると思いますが)、受け入れてくれる彼らなのだなぁと感じました。日本のことを考えてみると、先入観や外見だけで判断をして話しかけない場合が多いように感じます。先祖からの教えを今も伝え続けているってすごいです。両親や兄弟から教えられたこともありますが、初対面の人に対しても、ティモールのアボーの教えに従い、自分ができる限りのやさしさで接したいと思いました。

*歯が抜けたとき*
 日本で歯が抜けたときはどうしていましたか?私は、上の歯は土に埋め、下の歯は屋根の上に投げると次の歯がキレイに生えてくると教わった気がします…。先日、歯の抜けたケイちゃんとラヌちゃんという女の子たちが、抜けた歯を持ってウロウロ…。それどうするの?!と思い、ついて行ってみることにしました♪ケイちゃんは小学2年生、ラヌちゃんも同学年なのですが、小学校1年生のときの成績が悪く、今も1年生のままだそうです。若い時からダブるとは…。


↑左がラヌちゃん、右がケイちゃん。抜けた歯を持ってポーズ。    


↑海側に背を向けて足の間から投げる!

ティモールでは、①抜けた歯を持って海のある方角に背中を向ける。②足を開いてその間から歯を投げる。のやり方だそうです。最初は嫌がっていましたが、大人に説得され、写真を撮ることをOKしてくれました(笑)。日本の抜けた歯の投げ方を教えてあげると、「お姉さんはちゃんと埋めなかったからこんな歯が生えてきちゃったの?」と私の八重歯を見て一言。「そうだよ~。けど神さまがくれたものだからこのままにすることにしたの」と返事をしておきました(笑)。昔からの言い伝えを今も実践しているティモールの人たち。ティモールの昔話や言い伝えをこれからも調べてみたいと思います。

2017年6月26日 深堀夢衣