日本の皆様、こんにちは。先月22日、選挙が終わりました。今回は特に大きな事件は起きず、平和に次の日を迎えることができ、良かったです。けれど、過半数を獲得した政党が無く、連立するにも党首がいない等で未だに内閣の発足には至っていません。省庁はまったく動かず、なかなか大変な状況です。ロスパロスは首都のディリよりも落ち着いており、味の素事業も無事に進行することができました。選挙があると1年の半分くらいは仕事ができない状態になるので、最後の年が選挙と被ってしまってちょっと残念に思っています…。
*味の素事業の活動‐大豆*
日本の食卓ではよくみられる大豆食品。豆腐や味噌、醤油など…。大豆を使った煮物も美味しいですね!大豆にはたんぱく質、炭水化物、食物繊維、カルシウムなど多くの栄養素が含まれています。たんぱく質は人間の筋肉や内臓など体の組織を作っている成分であり、生きるために必要不可欠な栄養素です。たんぱく質の代表的食品は肉や卵ですが、大豆の約30%はたんぱく質でできており、大豆もたんぱく質摂取に重要な食品といえます。
↑日本から送ってもらった大豆の種で収穫した大豆
↑ティモールで販売されている豆腐
現在プログラムを実施しているイリオマールでも、大豆を使った栄養改善ができないかと考え、試験的に大豆を育て始めました。けれど、東ティモールで販売されている大豆の多くはハイブリッド種であり、栽培して種子を採り、再度植えても育たないというのが現状です。日本から大豆の種を送ってもらい、ロスパロスで植えてみたところ5~10日目には芽を出し、一つの芽からは2~3さやができました。再度収穫して植えたところ、同じようにさやがつきましたが、3回目はまだ芽が出てきていません。インターネットで調べてみたところ、同じ土や畑で栽培するには1~2年ほど期間を置く必要があるとのことでした。。また、大豆は乾燥にも弱いため、頻繁に水を与える必要があります。地表の土が乾燥したらたっぷりの水を与えます。イリオマールでは水の確保が難しく、遠くから水を汲んでこなくてはいけないため、イリオマールで大豆を育てる農家はあまりいません。大豆を育てた経験のある農家を探すのが大変です…。
大豆の加工食品である豆腐、テンペは市場でも売られており、ティモールの食卓にも並ぶことがときどきあります。豆腐はTahu(タフ)と言い、ちょっと日本語と似ている感じがします。豆腐は生で食べることはなく、小さめに切って揚げて食べるか、揚げた豆腐をトマトとケチャップに混ぜて炒めるのが通常です。テンペは日本ではあまりみられませんが、インドネシアに行ったことのある方はよく見たことがあるのではないでしょうか。大豆にテンペ菌を混ぜて発酵させたもので、こちらも小さく切って揚げて食べます。
↑試験的に育てた大豆(このまま収穫すると枝豆)
↑テンペ。袋に入って売られています。
味の素事業では、最終的に大豆を使用した加工食品をつくることが目標です。イリオマールでテンペを作っているグループを訪問しましたが、彼らは大豆を首都ディリから買ってきており、育ててはいないそうでした。彼らと提携し、大豆食品の定期的な販売をイリオマールで根付かせたいと考えています。大豆を育てる場所の確保、農家との提携が現在の課題です。味の素事業も最終年を迎えているので急がなくてはいけないのですが、慎重に進めていきたいです。
*イリライ村クヌア集落の話*
先月、新たにスタッフを雇うことになりました。現在は5名のスタッフで頑張っています。新しく働きだしてくれたセバスティアーノさん。彼はロスパロスから少し遠い、イリライという村の出身です。海に面した村で、魚を焼いているお店(休憩所のような場所)が並び、ディリに行く際は必ず通る村の一つです。何か昔話がないかと休憩中に尋ねたところ、興味深い話をしてくれました。イリライ村は県道から少しはみ出て土地があります。東ティモールの地図を見るとわかるのですが、他の場所は海に沿って道路があるのに、ちょっと不思議です…。
↑右上にあるイリライ村。県道を逸れて土地があります。
↑刀作りをしているお宅。刀は今も造られています。
はみ出ている場所はイリライ村のクヌア集落(地図には村の名前しか書いていませんが…)。なんと、この場所に住んでいた一人のおじちゃんが一本の刀を使い、土地をはみ出させたというのです(!!!)。少し話が逸れますが、東ティモールの言語、テトゥン語では、刀のことを“サムライ”と言い、写真右の鉈は“カタナ”と言います。日本の影響が今も残っているのかもしれません。
私からすれば、なぜそんなところに住むの?という感じですが、昔は波が集落にまで届き、難儀していたそうです。先祖から代々受け継いでいる土地なので、そこを去るわけにもいきません。そこで、一人のLia nain(リア ナイン…伝統的に力を持つ人)のおじちゃんが一本の刀、“サムライ”をすっと取り出し、砂浜に刺しました。すると、一定の砂浜まで波が引き、集落まで届かなくなったそうです。この出来事が起きたのは1983年のことで、それほど昔の話ではありません。彼は1998年に亡くなったそうですが、今も地図にも残るLia nainの力。すごいです…。
今も語り継がれるLia nainたちのお話。興味が尽きることはありません。これからもたくさん聞いていきたいと思います。
2017年8月23日 深堀夢衣