東ティモール通信 最後のお手紙

日本の皆様、こんにちは。これが最後の東ティモール通信となりました!派遣当初から読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。1月2月3月と各月のレポートも準備していたのですが、結局最後まで書き上げられず、今日を迎えてしまいました。最後の通信も遅くなってしまってごめんなさい。
2018年4月3日に日本に本帰国し、今は新しい仕事に就いています。初めての日本でのお仕事!大変ですが、頑張ります。
長年支えて下さり、本当にありがとうございました!

*派遣を振り返って思うこと*
 初めて東ティモールに到着したのは、2010年12月1日のことでした。空港を出てすぐ感じた、むわっとした暑い熱気が今も忘れられません。あれから7年4カ月。当時の私は23歳で、人付き合いが苦手で、泣き虫で、コンプレックスがたくさんあって、すぐイライラして、人に頼ってばかり。肌が白かったために、ティモール人の子どもに「卵みたい!」と言われたことを懐かしく思い出します。テトゥン語もわからなくて、でもティモール人の気持ちをわかりたいという気持ちはものすごくあって。その想いが7年間途切れなくて良かったなぁと思います。また、その想いがあったからこそ、ティモール人の輪の中に入っていけたように思います。
 2013年2月に先代の渡邉怜子さんが帰国されてからは、日本人の派遣が1人になりました。同年4月には、頼りにしていたAFMET開始当初からのスタッフで、私のお父さん的存在だったアジェさんが急死。同年9月にはAFMETの事務所兼住居が火災で焼失。持ち物も事業の資料も、これまでに東ティモールに派遣された日本人の方々が残してきたものも、何もかもが無くなりました。震える手で日本にいる母へ電話したのですが、「まぁ燃えちゃったものはしょうがないわよ~、全部無くなってゼロになって、やっとティモール人の暮らしがわかるじゃない!まだこれからよ!頑張れ~!」。母が言ってくれたこの言葉を、私はきっと一生忘れないと思います。「帰って来なさい!」ではなく、「必要とされなくなるまでそっちで働きなさい!」と、いつも背中を押してくれた母。本当はたくさん思うところがあっただろうに、何も言わず、黙って私の進む道を支えてくれた父。家族の支えがあってこそ過ごせた東ティモール滞在でした。
 悪夢の2013年を越え、翌年からはAFMETの活動資金を探すために奔走しました。JLMMの研修を終え、2010年に派遣地を決める際、カンボジアか東ティモールか2つの選択肢がありました。私が東ティモールを選んだ理由の一つに、事業を考えて実施したいという思いがありました。「現地の人たちが必要としていることを、スタッフたちと一緒に考えて実行したい!」と強く思っていました。けれど、活動資金を探すのは決して容易ではなく、調査を実施して申請書を書き、予算を立てるまでしなければいけません。スタッフたちとあーでもないこーでもないと頭を突き合わせて、時には喧嘩もしながら、なんとか申請書を作成しました。
2015年に味の素AINプログラム(現:味の素ファンデーション)からの支援を得ることが決まり、活動資金を得られるようになりました。支援が決まったときはスタッフと泣いて喜びました。申請書作成時が本当に大変だったので、その努力が報われたのと、やっと自分で決めた事業を実施することができる嬉しさがありました。でも、2016年には滞在ビザが問題となり、12月には日本に帰国することになってしまいました…。
 2017年4月に再度ティモールに戻ってからは、味の素事業の調整と事業実施とビザの問題解決とAFMETの今後について本部と話し合いと…こうして振り返ってみると、本当にバタバタな7年4カ月だったなぁ…。でも、こんなに充実した7年間はきっともう二度と訪れないだろうなぁとも感じています。


↑火災のあとの事務所。未だに見るのがツライです。     


↑アジェさんと私。いつもふざけ合う仲でした。
 
私が活動していた場所は、ラウテン県ロスパロス準郡という場所。首都ディリからは公共バスを利用すると9時間、団体の所有車を使うと約6時間かかります。距離は220キロとそんなに長くないのですが、道はボコボコでこれくらいの時間がないと到着しません。また、病気になると大変で…、2012年に日本で胆のう除去手術をするまでは本当に辛かったです。腹痛の原因もわからず、薬もありません。痛みで意識を失い、事務所で倒れたことも、そういえばあったなぁ…ティモールで人生初の救急車に乗ったのでした。窓が無くて、風がびゅんびゅん入ってくるので、とっても寒かったのを覚えています(笑)。
ディリに滞在している日本人の方々には、「なんでそんな田舎に7年もいられたの?」と問われるほどでした。なんでと言われても…といつも答えていたのですが、理由は3つあると思います。まずはやっぱり大自然!高い建造物がまったくないので、空が高く、広く感じます。動物もたくさんいて、自然や大地の素晴らしさを実感することができました。それから、気候が良いこと。ディリは暑すぎて耐えられません…。ロスパロスはディリと比べると少し標高が高いので、過ごしやすい毎日でした。それからやっぱりロスパロス人特有の人懐こさ!これが長年ロスパロスにいられた最大の理由かもしれません。多くの人は、ロスパロス人に対して「野蛮」「すぐキレる」という印象を持っていますが、「自分の感情に素直に従う」という見方もできると思います。琴線に触れると石を投げたり、カタナ(カタナと言われる鉈)を持って脅しに来たりしますが、それは、「話を聞いてくれーー!」という訴えなのだと思います。実際にいろいろありましたが、話を聞いて理解し合い、一度仲良くなると、その関係は絶対に途切れません。嘘をつけない、シンプルなロスパロス人が私は好きです。


↑私の事を「白いお姉さん」と呼ぶ子どもたち            


↑ロスパロスの大自然!

以前ある人が言っていました。「どうしようもないティモール人たちが、どうしようもない政治をしているから、この国はどうしようもないんだ」、と。ティモールのことを想うからこその発言だと思うのですが、“どうしようもない”と決めるのは、一体誰で、何を基準とするのでしょう?独立して15年が経つ東ティモール。確かに、どうしようもない人たちもたくさんいます。それが政府の人だったりして。ただ、この7年間私が関わってきたティモール人スタッフはどうしようもないなりに、一生懸命自分たちができることを実施してくれる人たちでした。時にはそれが十分じゃないから、見ていてイライラしたり、おーい!と思ったりするけれど。ティモール人と共に働いて、「あ~自分たちなりに一生懸命頑張ってくれているなぁ」と思えた私は、とっても幸せな滞在ができたように思うのです。


↑事業受益者との会議の様子             


↑お世話になったAFMETスタッフたちと。

 ある人に、「ゆいさんはすべてを笑いにかえるちからがありますね」と言ってもらった事があります。7年間で本当にいろんなことがあって、嫌なことやツライことも本当にたくさんありました。特に火災のときや、ビザが問題になったとき、などなど、挙げだしたらキリがないほど。でもそんなとき、あははと笑ってみると、違う見え方がみえてきたりして。1人が笑うと皆も笑い出して、笑顔になれます。これは、日本に帰ってからも、続けていこうと思っています。
また、最後の日に、AFMETのスタッフであるフレイタスさんが、「ゆいさんはいつも笑顔で、私たちの文化を受け入れてくれました」と言ってくれました。「絶対受け入れられない」ではなく、「どれだったら受け入れられるかな?」と新たに考える視点を持つこと。よく言えば、柔軟性がある、悪く言えば、自分がないってことになるのかもしれません。でも、ティモール人がそんな風に私のことを思ってくれていたんだなと思うと、とても嬉しかったです。
この国の人々と関わり合うことができ、とってもとっても幸せでした。
2018年4月9日、今30歳の私は、東ティモールが大好きで、最後まで頑張った自分に「がんばったね」と素直に言えるようになりました。これからもきっと、ずっと、東ティモールのことは忘れません。共に笑い、時に喧嘩し、共に過ごした貴重な日々。歴史も文化も、何もかもが違う東ティモールで、現地の人々と家族のように繋がり、成長させてもらい、助けてもらい、なによりも、共に生きてもらいました。いつもあったかくて、一緒に泣いてくれて、話を聞いてくれて、支えてくれて。かけがえのない7年4カ月。これまで出会ったすべての東ティモール人に、心からの感謝を!!

*おまけ*
 先月、東京AFMETの副理事長が東ティモールを訪問して下さり、今後のAFMETについて話し合いが行われました。実は、味の素事業終了(2018年3月31日)後、AFMETを閉じるという話もあったのですが、今後も日本と東ティモールとの繋がりを継続していきたいと願ってくださった方々も多く、これからも、小さな事業を実施しながら、日本AFMETも存続することになりました。東ティモールAFMETは、現地代表である東ティモール人がヘルニアになってしまい、今すぐ新しい事業を行うことは難しい状況です。けれど、療養して体調が回復したら、またAFMETとして活動していきたいと言ってくれました。
これまでAFMETのスタッフとして東ティモールに派遣されてきた日本人が、この地に残していった思いや考え方を、彼らが自分のものにして、自分たちのために、自分たちで考え、実行し、「あ~この国はいい国だ!」と自分たちで言えるようになって欲しいと願っています。私も、これからも、東ティモールと繋がり続けようと思います。

2018年4月9日 深堀夢衣