月間報告 11月 2012.11

「東ティモール医療の会(AFMET)」

ご存知のように、私の勤めているAFMETでは保健関係のプロジェクトを行っています。その一環で、水利設備を作り、住民に水を引くということも行っています。

今まで色々な保健プロジェクトを実施してきましたが、Laiha Be’e, Laiha Moris (No Water, No Life) と言うように、水ってやっぱり生活に欠かせないものなんだなって感じてきました。

手を洗う、トイレを使う、体をきれいにする、飲む、食べる、すべてにおいて水が必要なんですよね。蛇口から当たり前に水が出る日本の生活では忘れてしまいがちですが、水は命を生かすものなんです。確か、ヒンズー教の水の神様も命を生かす役割を担っていたような・・・。

だから、いつも支援は必要ないとか、私は住民に色々と押し付けているとか、理屈っぽいことをごちゃごちゃ行ってしまう私にとっても、水を引くことは唯一住民の需要からそれないものだと信じていました。しかし、しかしです。

「Souro村Omukano集落の場合」

トイレプロジェクトと共に私達が水を引こうとしていたSouro村Omukano集落。

地下水を探知する機械などありませんから、木の棒を持って歩きまわり、水源の上になるとその木の棒に変化がみられる、という今の時代に信じられないほどマニュアルな方法で水源を探しました。地下に水があると、地上の気流とか気圧とかになにか差があるのか・・・・?

仕組みは謎なのですが、とにかく沢山の水源を掘り当てているオジサンがココに水がある、というので掘ることに。

実はもう一つ場所があったのですが、その土地の主がそこは掘ってはいけないと言い、私達は2か所目を、それも、そこに住む住民がここならOKだと言った限られた場所から探して掘りはじめました。

しかし、結果から言えば30メートル掘っても水は出なかったのです。土地は湿っており、水の存在は明らかなのですが・・・。

ちなみに、30メートル、全て人が掘ったのです。地質が石でとても固く、機械では掘れないということで全て手作業です。あらためて、ティモール人のすごさに感動しました。でもこれ以上は酸素も薄く危険です。やむなく、私達はその場所を断念しました。

さて、どうするか・・・

「住民の気持ち」

AFMETスタッフは、もうひとつの水源に目をつけました。少し遠いけれど、タンクを2か所作って水をためながらであれば、なんとか集落の近くまで引くことが出来る、という見解でした。

しかし・・・・!

ここでも問題に当たることになりました。水源の主に、ココから水を引くなら金を払えと言われたのです。まぎれもなく、Omukano集落の住民。彼の家族自身も、遠い水源まで水を汲みに行っている状態で、水を近くまで引こうという提案なのです。それなのに・・・。

振り返ってみると、水を探すために掘るのもダメ、掘ってみて水がでないから水源から引くのもダメ、水を引くためにNGOがお金を払わなければならない・・・

これっておかしいです。水が引かれたら、今まで1時間かけて汲みに行っていた苦労から解放される。これは、100%、住民のベネフィットです。水を引いてNGOがその水を使うわけではなく、私達外国人が使うわけでもありません。他でもない、住民が使うのです。わけのわからないことを言っているのは1人だけなんだから、他のみんなの事を考えればもう少し話をするべきなのか?とも思いました。でも、もし私がOmukano集落の住民なら、そして、本当に水を引いてほしいと思っていたら、集落のみんなで話し合って水源の主にお願いしに行くと思うのです。それは、NGOが介入する所ではなく、住民同士で解決するべき問題ではないでしょうか?

「水よりももっと大事な何か?」

私達はOmukano村からの撤退を決めました。住民の需要がこのプログラムでは供給されないと思ったからです。住民のうち、集落長を含む何人かは仕方ないと、また、水源の主に対して怒っていたようです。

しかし、AFMETスタッフも責められてしまいました。私たちは、ある限りの可能性をみて出来る限りの提案をしました。でも、却下したのは住民なのに!こんなに理不尽なことは無いと私もスタッフも、怒り、そして悲しいです。そんなに嫌なら撤退するという決断にも、だーれもしがみついてこないのです。

ということは、水よりももっと大事な物が住民にはあったということなのでしょう。もちろん水の優先順位は高いんです。みんな、水を引いてほしいって思っていると思うのです。でも、そのために自分の時間や労力を犠牲にしようとは思わない。今まで通り、1時間水汲みに時間を使ってもいいということなのかもしれません。

住民の需要って、本当に謎です。

今回の不完全な介入によって、私たちはOmukano村の中に負のものしか残せませんでした。きっと、沢山の人が水源の主を恨んでいるし、沢山の人が集落長に文句を言いに行ったでしょう。介入しなければ、生まれなかった恨みや怒りを生んでしまったのです。

また私の、「この人たちには何にも必要ない理論」が、頭に渦巻きます。何も変わらなくても、今のままでもいい。

でも、国を発展させていくためには、変わらなければいけない。需要を考える時、根本的に考えなければいけないのは、変わりたいか、変わりたくないか、なのかもしれません。変わりたいなら、それなりの覚悟がいるんです。独立し、世界の様々な国々と肩を並べていくため、ティモールがいつか、嫌でも変わらなければならない日がきっと来る。でも、その覚悟をするために、もう少し時間が必要なのかもしれません。

【 筆者紹介 : 渡邊さん 】
渡邊さんは、特定非営利活動法人 東ティモール医療の会(AFMET)の目ぢからいっぱい、まんまる瞳の看護師さん。2008年から東部のロスパロスにて住民の皆さんに自らの健康は自ら守るため、また、医療サービスから遠い村で保健ボランティアを育成し、彼らを中心に村の中での健康や衛生に関する教育などの普及に努めています。