東ティモール通信 51

日本の皆様、こんにちは。もうすっかり春ですね。とっても久しぶりの通信になってしまいました。すみません。

去年の12月に東ティモールの滞在ビザが問題となり、これまで日本に一時帰国をしていました。
いつも日本への一時帰国は1ヵ月のみの滞在でしたが、今回はゆっくりと滞在することができ、自分を見つめ直す良い機会になったように思います。

今は無事に東ティモールに到着し、ビザ申請の準備をしながら2016年度に実施した事業のまとめをスタッフと共に実施しています。
今回は1ヵ月の滞在になるかもしれず、焦っています。が、周りのスタッフたちは何とも自由。。
1ヵ月しかいられないってば!!!と思いつつ、あぁこれがティモールだったわ…と実感しています。

今は雨期のティモール。毎日1度は雨が降ります。この重たい気持ちも一緒に流れて欲しいーと思いつつ書いた通信です。まずはビザが取れなくなったときのことから共有させていただきたいと思います。

*ビザが取れない!*

2016年12月、東ティモールの内務省へビザの延長申請をしていたパスポートを取りに行くと、自分の名前が貼りだされていました。
長年ティモールに滞在していると“やばい”雰囲気がわかるもので、貼りだされた自分の名前を見た瞬間「あ、これはやばいやつだ…」と思いました。
火災が起きたときと同じ感覚で、心臓の音が異常に大きく聞こえて、どくんという音と同時に体がびくっと動くのです。こうなってしまったらまぁしょうがないな…と、これもとっても不思議な感覚ですが、割とすっと受け入れられる自分がいました。肝が据わるとはこういうことなのでしょうか?

貼りだされた紙には「ここに名前が書かれている者はインタビューを行うのでオフィスに来るように。」と書かれていました。
インタビューをする内務省の担当者はまだ仕事に来ておらず、1時間ほど外で待たなければなりませんでした。
担当者がいつ来るかわからないのでむやみに動けないし、何が必要なのかもわからないので何の準備もできず、ただただ待つだけの時間でした。

やっと来た担当者は、「いや~昨日インドネシアの音楽番組を深夜まで見ていたから眠くてさぁ~」と遅刻した言い訳をダラダラと話し、「これ、おいしいから食べる?」と揚げバナナのお菓子を勧めてくる始末。
そんなのいいから早く終わらせて欲しい…と思う私の気持ちは完全に無視。その油まみれの手でパソコンを触るのね?とも言えず、インタビューは始まりました。

インタビューでは、NGOの説明からしなくてはならず、3時間ほどかかりました。観光ビザをこれまで延長しなくてはならなかった理由を説明しましたが理解してもらえず、今後は就労ビザでのみティモールに滞在できるとの事でした。

貼りだされた他の中国人やインド人は賄賂を渡して早々に帰っていましたが、賄賂を渡すくらいならティモールにいたくないなぁと思ってしまいました。

観光ビザはこれ以上延長させないので、すぐにティモールを出国してくれ!と言われ、日本へ帰るチケットを提出しなければパスポートは返さないとの事。就労ビザを取得するには一度日本に帰り、必要な書類(所属団体との契約書や卒業証明書など)を準備しなくてはならないので、とにかくすぐにティモールを出国して日本へ帰ることを決めました。

今いろいろ思い出しながら書いていますが、どれだけこれまでティモールを思いながら事業を行ってきたか説明しても、そんなの関係ないね!と言わんばかりの対応だったなぁと思います。もちろんしょうがない事なのですが。
一度日本に帰ることを伝えると、たくさんのロスパロス人が涙を流してくれました。スタッフは「こんな国でごめんね。」と謝ってきました。気づかない間に首都ディリの省庁はいつの間にか成長したんだなぁと、感心してしまう自分もいて、なんだか変な心境でした。

ディリからロスパロスまで急いで帰り、日本に帰る準備を大急ぎでしました。荷物を詰め込みながら、もうティモールに帰って来られないのかなと思うと涙が出てきました。こんな終わり方は嫌だな、今後はどうすればいいのかな、パスポートは無事に帰ってくるのかな、ビザが取れるようにどうすれば良かったんだろう、事業はどうすれば…等と考えていると、ティモールが大好き!という気持ちもどこかへ行ってしまって、心に残るのは、不安や怒り、悲しみ、後悔…暗い気持ちばかりでした。

↑首都ディリの海(上)とロスパロスの海(下)。場所によって夕日の見え方も違います。

12月5日、内務省に立ち寄ってチケットを見せ、無事にパスポートを返してもらう事ができました。ティモールを出国するのはとっても悲しかったですが、まずは日本に帰って準備をしなくては!という気持ちでいっぱいでした。

*日本滞在*

日本滞在中は、就労ビザ取得に必要な書類は何なのかを調べ、その準備をしました。健康診断書や卒業証明書、犯罪経歴証明書等たくさんの書類が必要になります。

JLMM(日本カトリック信徒宣教者会)から派遣されているAFMET(東ティモール医療友の会)の会議にも参加して現状を報告し、AFMETの将来についても話し合いました。

私の後任がいない今、団体の将来についても考える時期に来ています。つらいのは、自分が今後東ティモールに滞在できるかもわからず、自分の将来についても不安でいっぱいのなか団体の将来についても考えなければならないことでした。私の派遣が終わったあとのことについてまで考えなくてはならないのは、あまりにも荷が重く、すべてが嫌になってしまいました。

どうして自分は東ティモールに行ったのだろう?そもそも外国で働きたいと思ったのはどうしてだっけ?と、ティモールに滞在していた時間まで不確かになり、ティモールで何をしてきたんだろう?あれ、もしかして20代全部無駄にした?と思い悩む時間が続きました。
あんなにワクワクしていた気持ちも、やる気も、楽しさも、全部どこへいったのかわからなくなりました。

もう辞めてしまおうと思ったけれど、思い出すのはティモール人の顔ばかりでした。
今の事業で関わっている子どもたち、栄養失調のフィデリアちゃん、魚釣りに一緒に行ったおじちゃん&おばちゃん、スタッフのみんな、待っていてくれる人たち。
辞めたいけれど、今はまだ違う気がする…。

でもどうしよう…と思っていた頃、私の母は言いました。
「あんたね、うちの子は転んでもタダじゃ起きないのよ?」と。
「どういう意味?」と尋ねると、「転んだら、転ばせた人のことを噛んでから立ち上がるのよ!」と。
なんじゃそりゃ!?団体もティモールも噛めないし!!っていうか噛まないし!笑

母の突拍子もない発言にまた笑うことができ、ティモールで待ってくれている人の事を思うと、また頑張ろうと思うことができました。両親には申し訳ないけれど、あと1年は、今の事業が終わるまでは、まだティモールにいたいと思っています。

*東ティモール帰国*

4月3日、成田空港から無事に出国することができました。
ティモール着は4月4日。久しぶりの熱気に汗は止まりませんでした。日本と比較したら20℃の差があるんですねぇ…。

私が日本に滞在している間、私の大好きな人がティモールで息を引き取りました。
何度かこの通信で紹介したサリちゃんのおばあちゃんにあたる、アルジラさんです。彼女は交通事故で娘さんを二人亡くしており、その後、一人の女の子を養子にもらい、旦那さん、5人の子どもと孫1人と共に生活していました。

アルジラさんは魚釣りの名人で、イラララル湖に行くときは必ず一緒に行きました。タバコも吸うし、お酒も飲む、まさに漁師!という感じの女性でした。初めて会ったときは、なんだこのガラガラ声のおばちゃん!と思っていたのですが非常に愛のある人で、近所で困っている人がいると家に呼び、一緒にご飯を食べて、部屋も貸してあげる人でした。

私も何度かお世話になったことがありました。
そんなとき、おばちゃんは必ず言っていました。
「ありがとうは無しよ!その代わり、私が困っているときは助けてよ!!がはは!!」と。

↑一番手前で釣りをしているアルジラさん。真剣です。

↑アルジラさんのご家族。旦那さんはポルトガル語の先生です。

昔から血圧が高く、子どもたちが手伝いをしないで遊びに行っているのを叱るだけで頭がクラクラして倒れることがありました。アルジラさんが寝ているベッドに座っておしゃべりをすることもありました。
周りで人がタバコを吸っているのを見ると、さっきまでは「禁煙に成功したから絶対吸わないの!絶対よ!」なんて言っていたのに、気づいたらタバコに火をつけていて、私がつっこむと、舌をペロッと出して笑っていました。それに、血圧が高いから豚肉は食べちゃダメ!と医者に言われても隠れて食べており、それが見つかると、「いいの!美味しいもの食べて死にたいのよ~~!!」と叫んでいました。
とにかくとってもお茶目で、面白くて、子どもが大好きで、料理が上手で、大好きなおばちゃんでした。

3月23日の深夜、息を引き取ったと連絡がありました。周りで泣く子どもたちの声も電話口から聞こえてきました。
そういえば、日本に帰る前に会いに行けなかったなぁ…。帰りはバタバタだったもんなぁ…。でも会いに行けばよかったなぁ、今度ロスパロスに帰っても、お土産を所望するアルジラさんはいないんだなぁ。と、とても悲しかったです。また、子どもたちが悲しいときに一緒にいられないこともつらかったです。

来週の月曜日には一度ロスパロスに帰るつもりなので、すぐにアルジラさんのお墓に挨拶に行かなきゃいけないなぁと思います。ごめんね、ありがとうと泣くのではなく、困ったときは教えてね、天国では禁煙を成功させてね!と笑顔で伝えに行こうと思います。

↑アルジラさんご夫婦とイララル湖へ魚釣りに行ったときの写真。私の隣がアルジラさん。

ティモールの滞在が長くなると、関わるティモール人は増えていき、大好きな人たちも増えていきます。そして亡くなる人の数も増えます。
でもそれで良いと思います。とてもつらく、悲しいけれど。それでも、大好きなティモール人がいたという事だけで、自分の人生がカラフルになると思います。

今回は1ヵ月しかいられないかもしれませんが、すべてをゆだねて、今自分にできることをがんばります。

2017年4月7日 深堀夢衣