東ティモール通信 52通目

日本の皆様、こんにちは。先日カメラを海の中に落としてしまい、5年一緒に過ごしたCanonのカメラとついにお別れすることになりました…涙 今は携帯のカメラがあるのでなんとかなっていますが、レポートに載せるにはサイズが違うのでちょっと困っています…

さて、東ティモールの滞在ビザが問題となっていましたが、代行業者さんにビザ取得をお願いすることができました。いつまで滞在できるか現段階でははっきりしていませんが、とりあえず2ヵ月後の7月までティモールにいられることになりそうです。
ティモールに戻って1ヵ月は、あっという間に過ぎていきました。今回は4月の出来事をまとめたレポートです!

*恐怖!!ご近所さんの結婚式*

「う、うるせぇーーーーー!!!」と叫びたくなったのは久しぶりです。私とした事が…。防音の壁があったらこの騒音が防げるのでしょうか?「ドラえもーん!」と叫ぶ、のび太くんの心境がわかった気がします。ロスパロス在住7年目の夏。あ、日本はまだ春か…。
「結婚式」と聞いて「恐怖!」という単語が浮かぶのはここに住んでいるからなのかもしれません。現在、朝6時半。大音量で音楽がかけられ、ド音痴の人が替わりばんこで歌う、どへてぃー(どへた)な歌。これ、昨日の夜7時からですよ。信じられます?あまりにも寝ていられなかったので、これをレポートに書いてやれ!とパソコンに向かった次第です。


↑友人の結婚式の写真。この大きな会場で参加者みんなダンスをします。


↑新郎と新婦のダンス

「結婚式」と書きましたが、もしかしたら結婚式じゃないもかもしれません。昨日準備をしていたお隣さんに「何かあるの?」と聞いたら、「いや、ちょっと…。」と返されただけでした。ティモール人の中で何かパーティー(もちろんダンス付き)をするときでも「いや、ちょっと…」と言わないと自慢しているように思われてしまうのだそうです。でもこんな大音量だったら隠した意味はもはやないのでは…?(笑)。さて、ティモールで結婚式、もしくは卒業パーティーなどがあれば踊るのが当たり前!男女ペアになって踊るのが通常ですが、若者たちが輪になって踊るパターンもあります。ティモール人はダンスが大好き!腰のフリが尋常じゃないです(失礼。だけどいい意味で!)。
パーティーはもちろん素敵な事ですし、「うるさーい!」と言いに行く事はもちろんしません。だけど大音量でしかも音痴って!“恥”は無いのか?!と思ってしまいます。“恥”という単語はティモールにもあります(テトゥン語では恥ずかしいをMoe:モエといいます)。…いや、人前でも会議中でも、どこでも平気で鼻をほじる人たちです、恥なんて無いか。。そして、なぜだかものすごいウーハー…。このみぞおちに沁みる重低音の響き…。12時間聞かされてもねぇ。私のお腹は今とてもビックリしていますよ…。このズン、ズン…というバスの響きに全くあってない機械音。書くとすれば「ぴ~ひゃらら~~~」って感じでしょうか。ちびまるこちゃんじゃないんだから。ズン、ズン…にぴ~ひゃらら~~~プラス、音痴=騒音。騒音でしかない!!!けれど、ここは東ティモール。しかもロスパロス。「騒音」なんて単語は、存在しないのです。「騒音!近所迷惑!!!」とロスパロス人に言えばきっと、「は?騒音?近所迷惑??何それ?美味しいの??」レベルで通用しない事でしょう。とほほ。。
ちょっと安心できるひとときは、1曲の終わりと始まりの間。しかも間隔が決まっていないので期待させるように長く静かになったりするのです。でもまた始まってしまうのがもう、、本当に苦痛でしかありません(:_;)いや、おめでたい事があったのだから、こんな事を言っては罰当たりですね。頑張って絶えましょう。一体いつ終わるんだぁ~。
夜はすっかり明け、鶏も鳴き出しました。というかもう元気に飛び回っています。あ~早く終わらないかなぁ。。この後朝7時に音楽は終了しました!私も朝からですがこれから少し眠ろうと思います。そんな日曜日もまぁいいか…東ティモールに帰ってきたんだなぁと実感した一日でした。

*医療の現場*
ロスパロスに戻ってすぐ、先月のレポートに書いたサリちゃんのおばあちゃん、アルジラさんのお宅に行ってきました。家族のみんな一人ひとりと抱き合い、たくさん泣きました。長男のエルネスト(エルニー)が家族を代表して亡くなったときの様子を語ってくれました。
入院中のアルジラさんは食べたいもの、飲みたいものを頼み、その都度エルニーがバイクで買いに出かけていたそうですが、少し食べると「もういらない」と言い、怒ってしまうこともあったそうでした。担当の看護師さんが理解のある方で、痛みで眠れない夜は鎮痛剤を打ってくれ、眠ることができた夜もあったそうです。病状が悪化した日、担当の看護師さんはおやすみで、他の看護師さんたちに痛み止めをお願いしましたが、彼ら同士で「お前がやれ」と言い合い、時間だけが過ぎ、痛み止めは結局打たれず、亡くなってしまったそうです。アルジラさんは亡くなる直前、エルニーに弟・妹をよくみるように言いました。一番下の娘・ガブリエラ(ガビ)はまだ小学5年生だから、その子の成長を見られずに死ぬのはつらい、とも…。
人の命を左右するお仕事ですから、こわいだろうし、責任を負うのが嫌という気持ちはわかります。ただ、東ティモールの医療の現場がもうちょっとだけでも患者さんに寄り添うものだったら、家族の人たちはもう少し穏やかな気持ちでアルジラさんが亡くなったことを受け止められたんじゃないかなと思います。もしかしたら患者さんに対してあんなに親切で丁寧なのは日本だけなのでしょうか?それともティモール人が患者さんにやさしくなれるほど医療設備がそろっていなくて、あきらめるのに慣れているのかも?やればできるのにやらない、いざ!というときにやらない…。その分、家族は死を受け入れることがつらいだろうと思いました。


↑左から長男・エルニー、親戚の子、アルジラさんとサリ、長女メリー


↑ガビとアルジラさん

アルジラさんの孫・サリ(4歳)が、アルジラさんの写真を私に見せながらいいました。「おばあちゃんは天国にいったの。イエスさまと一緒だからこわくないはずよ。」喧嘩っぱやかったアルジラさん。天国で誰かと喧嘩していませんように。。

*思い出の残し方*
レポートに載せるための写真を探したのですが、データのファイルを見ると年々写真を撮る回数が減ってきているように思います。いつでも思い出せるように撮らなくちゃと思いつつ、またどうせ来るから(会えるから)いいか~とこれまで過ごしてきてしまいました…。もうすぐ日本へ帰ることを考えると、場所も人も、いつでも思い出せるように、何かのかたちで残しておきたいなと思います。

2017年5月21日 深堀夢衣