日本へ

雪のお出迎え

暖かくなるのを待って、東ティモールより家族三人、日本へ帰国しました。

日本は去年の3月以来約一年ぶり、娘はまだお腹の中にいました。暖かくなってきているかなーと楽しみにしていましたが、震える寒さに雪! 「寒い」という感覚を初めて味わった、南国生まれ南国育ちの主人は、寒いというより痛いと、終始体がこわばっていましたが、それでも初めて見る雪に目を輝 かせていました。

そして今年もやっぱり・・・寒い!私たちを出迎えてくれたその日もやはり、雪が降っていました。

 

東日本大震災

去年の帰国で思い出すのは、11日の東北での震災のことです。その当時広島にいた私たちは、テレビで初めてその様子を目の当たりにしまし た。まるで小さな箱のように流されていく車やコンテナ、家。見ればみるほどに、本当に起こったことなのだろうかと現実感がなくなり、当初事の重大さにピン とこなかったのが、正直なところでした。

 心配

そんな時、東ティモールの家族から電話が。「大丈夫なのか!生きているのか!」と、切羽詰まった家族の声。テレビを見ながら、どこかものす ごく遠いところの出来事のような気がしてならなかった私たちは、まさか東ティモールまで、しかも夜しか電気のない実家にまでニュースが伝わっているなんて 思いもせず、始めは何のことを言っているのだろう?と思ってしまいました。

長野県ほどの小さな島国、東ティモール。もしあれほどの震災が起こっていたら、全土が災害に合っていたといっても過言ではありません。東 ティモールの地から出たこともなく、世界地図をじっくりみたこともない家族は、日本の国土がどれくらい大きいものか見当もつかず、日本が震災と聞いて、主 人も私も亡くなってしまったと思い込んだようでした。

 家族

東ティモールへもどってからも、話題は震災のことでもちきりでした。「あの時の津波の映像は、ほんとうに怖かったよ。家族は大丈夫だったの か?」と、いつも私の家族のことを気にかけてくれ、現状を心配してくれる人たち。そのたびに日本の国土は東ティモールの何倍もあって、震災に合ったのはこ の辺で・・・と、説明する日々が続きました。

テレビだって電話だって、インターネットだってある今の世の中。飛行機を利用すれば、数日のうちに行き来できる世界の国々。地球のどこで何 が起こっていたって、遠い国の出来事とは言えない時代です。震災の後、東ティモールからも100万ドルもの義援金が届いたと聞きました。遊びに行くと、い つもコーヒーやお菓子を用意して、ごはんまで食べさせてくれる東ティモールの人々。ニュースを見た当初、どこか遠い場所の出来事のような気がして、何もで きなかった私も、あんな風に人を思いやれる人間になりたいなぁと思うのです。

2012年4月30日