見られなくなった光景

自動車事情

「日本の車はどれも小さいねぇ。四駆とか走らないの?」

行き交う車を見ながら、つぶやく主人。確かに、東ティモールを走っている車に比べると、小型のものが圧倒的に多いです。

東ティモールでは、でこぼこ道や急勾配でも走れる、車高があってパワフルな、大型のピックアップトラックやランドクルーザーなどをよく見か けます。首都を走っているタクシーはセダン型ですが、山間部などで、陥没した道路にはまって動けない、ぬかるみでスリップして前に進めないといった様子も よく見られます。以前は日本でも、大きくてアウトドアに最適な車が流行っていた頃があったように思うのですが、最近は燃費がよくて税金も安い軽自動車に乗 る人が増えているみたいです。

ふるさとの光景

その中でも、うちの実家のような田舎では、軽トラと呼ばれる、二人乗りで後ろに荷物が積める軽トラックが圧倒的に多く、農繁期などは見かけ る車の大半が軽トラと言っても過言ではありません。荷台にはこれから植えられる苗が満載してあったり、肥料が乗せてあったり、自転車を積んだり、気軽に ひょいひょいと物が乗せられるので、色々なものが乗っています。そんな光景を見ながら、何だか物足りない気持ちのする私。そう、そこには「人間」の姿がな いのです。

東ティモールの光景

東ティモールを走っているトラックの荷台には、ほとんど絶対と言っていいほど人が乗っています。エアコンの効かない暑い車内に座るより、風 を受けて爽快な後ろに乗る方がいいと言う人から、前に席がなかったのでしょうがなくという人まで、荷台には人、が当たり前の光景。首都と地方をつなぐ公共 の乗り物「アングナ」とは、トラックの荷台に長椅子を設置して座席とし、座れない人(大半が座れないのだが・・・)は立ち乗りというもの。

 

ピックアップトラックを走らせていると、
「ちょっと乗せて!」と通りがかりの知り合いに呼び止められ、席がないから無理という言い訳もきかず、いいよなんてうっかり返事をした日には、後ろから家族がぞろぞろ現れる・・・なんてことも日常茶飯事で、
「言っとくけど、事故して死んだって、責任はとれないよ。」と念をおすと、
「大丈夫!死ぬときは一緒だ!」なんて義理堅いこと言われるし・・・。家族みんなでバス代けちりやがって!なんて悪いことを思ったりもす るけれど、街灯もガソリンスタンドも人気もない山道で、オーバーヒートしたりタイヤがパンクしたりのトラブルには、快く付き合ってくれる人たち(東ティ モールの男性は、みんなタイヤ交換を難なくこなす)。人生、もちつもたれつだなぁとしみじみ感じる瞬間です。

 

そう言えば、日本に帰ってからというもの、バイクに三人も四人もが乗っかって走っている光景も見なくなった。タクシーの上に大きなスプリン グベッドをくくりつけて運ぶ様子も見なくなったし、バスの後ろにヤギがぶら下がっているのも見なくなった。音楽をガンガンならして、定員オーバーに苦しみ ながら走っている公共バスも・・・。

 

こんなことを言っていると、東ティモールって何て国だ!と思われるかもしれないけれど、その何でもありな様子が、私は結構好きでした。なせ ば成る、という気持ちを思いだすからかもしれません。もちろん、そんな状況ですので、自分の身は自分で守らなければならないことを忘れてはいけない、自由 ということだけを謳歌せず、気持ちを引き締め、常に危険と隣り合わせだということを、頭において行動しなければならないことも事実です。日本には規制がい ろいろとあり、何でもありというわけにはいかず、何だかものすごく縛られている気持ちになることがありますが、そのおかげで危険を予め減らすことができて いることも、また事実なのです。

グローバルに考えると

東ティモールで売られている中古車には、日本からやってきたものがたくさんあります。理由は様々だと思うけれど、日本の持ち主に手放された 車が、こうしてはるばる日本から東ティモールへとやってきている。ことに最近は環境を守るということで、燃費の悪い大きな車から、低燃費の小さな車に乗り 換える人がたくさんいるようです。

 

低燃費の車に替えるということは、地球を守る手段の一つかもしれない。けれど、車を替えるだけで、果たして環境問題に貢献したのかな?と考 えると、単純にそうとは言っていられないような気が、私はするのです。それまでに乗っていた燃費の悪い大きな車が、今も同じ地球のどこかで、目に見えない どこかで、まだ動いていることを忘れてはいけないと思うのです。

 

2012年5月23日