防衛ホーム誌ノーサイド欄より「尽力して来ている人々」

12月を迎えました。

全国の自衛隊員の皆さん、本紙読者の皆さんには、

「あっという間だなぁ・・・」それとも「ようやく12月か・・・」でしょうか。

それぞれに「いろいろあった」中で、尽力され、頑張り、今日に至っていることと思います。

 先日11月22日、来日中のグスマン東ティモール民主共和国再建国民会議(CNRT)党首が三宅外務大臣政務官と親しく懇談しました。グスマン党首は、東ティモール独立回復闘争時代の最高指揮官であり、2002年5月20日の独立回復後には初代大統領を務め、また首相等として同国国民の先頭に立って国づくりに尽力して来られた、いわば国父とも言うべき方です。

 三宅政務官は、来年が東ティモールの独立回復20周年・日本と東ティモールの外交関係開設20周年の節目の年であり、今後とも東ティモール支援を継続して行く旨表明すると共に両国関係の一層の発展を祈念し、双方による「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた具体的な案件の着実な実施に尽力して行くことに言及されました。

 グスマン党首は、東ティモールの発展に対する日本の継続的な支援に謝意を表し、地域の諸問題に対しては日本と連携した取り組みを進めて行く考えを言明されています。

 今、両国は、大変良好な二国間関係にあり、東ティモール国民はとても親日的です。

 過去には「いろいろあった」日本と東ティモール。

1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃直後の12月17日、オランダ・オーストラリア連合軍約1500名は、当時中立だったポルトガル領東ティモールを予防占領。これを受けて、日本軍は1942年2月18日東ティモールに進攻し、20日には連合軍を駆逐。爾後1945年8月15日の終戦まで占領しました。その後、東ティモールは再びポルトガルの植民地に戻りました。

そして1975年11月28日、東ティモールはポルトガルからの独立を宣言。独立を支援したのは、ソ連や中国そしてベトナム戦争に勝利した北ベトナム。隣国インドネシアのスハルト大統領は、12月6日インドネシアを訪問中のフォード米大統領と会談し「東ティモールはアメリカのキューバになる」と危機感を表明、東ティモールへの進攻について予め内諾を得たのではないかと言われています。フォード大統領帰国の翌日12月7日、インドネシア軍は東ティモールに進攻し首都ディリを制圧、翌1976年2月には東ティモールをインドネシアの27番目の州に併合しました。激しい独立闘争は24年に及びます。この間、東ティモールの犠牲者は当時の人口の5分の1に及ぶ約20万人、インドネシア兵士は約3800人が死亡しました。

日本・アメリカ・オーストラリア等は、この独立闘争を支援せず、国際社会からは、この独立闘争は成功しないのではないかと見られていました。

こうした中にあって、日本でもさまざまな人々が草の根での独立回復闘争支援に尽力されて来ました。

そのうちのお一人が高橋道郎さん。

 東ティモールを訪問される皆さんが、必ず訪れるのが首都ディリ市内にある「レジスタンスミュジアム」。そこに展示されているいくつかの「衛星携帯電話」に眼が行くと思います。インドネシア軍に比べ装備等が極めて貧弱な東ティモールにとって、この「衛星携帯電話」はジャングルでの作戦遂行等に甚大な役割を果たしました。

 高橋さんが命懸けで届けたものです。

高橋さんは、もともとは学校の先生方を支援する教育財団のスタッフの方。「パードレー佐藤」と称し、神父さんに姿を変えて独立回復闘争支援に奔走されました。今でもその穏やかな風貌・語り口は、僕には神父さんそのもののように思えます。

こんなこともあったそうです。東ティモールへの経由地インドネシアでの入国審査。

「入国は認めない」

「何故だ」

「タカハシミチオは、ブラックリストに載っている」

「タカハシは、日本で一番多い苗字だ。10人に一人はミチオという名前だ。入国を禁止されているタカハシミチオは、自分とは別人だ」

 (以下略)

即時、日本送還。

高橋さんは、日本国内でも東ティモールのラモス・ホルタノーベル平和賞受賞者の講演会の開催等、積極的に独立回復支援活動の拡散に努めて来ました。

独立回復闘争に大きく寄与された高橋さんは、独立回復後最初の在郷軍人会(ベテランズ・アソシエーション)総会で、終身名誉会員に選出されています。後にも先にも日本人で高橋さん唯一人。独立回復のため戦ったベテランの皆さんとの心の交流は今も不変です。

コロナ禍の前まで続けて来られた東ティモール訪問、約30ある地方言語の保護にも奔走され言語辞典を編纂、孤児に対する奨学金の供与・図書館建設・蔵書の寄贈等の人材育成、バイオガス等の農業支援、日本の皆さんに対する東ティモールの発信等、広範多岐にわたる活動に熱心に取り組んでいます。

 今日の日本と東ティモールの良好な関係には、高橋さんを始め幾多の皆さんの様々な尽力の積み重ね・継続が「いろいろあった」に違いありません。

 隊員の皆さんや読者の皆さんが係わってきているお仕事や事柄等にも、きっと高橋さんのような方々がいらっしゃるのではないでしょうか。

 「いろいろの内訳聞いてみたかった「いろいろあった」ですますあなたに」(11月16日付け読売新聞「読売歌壇」 堺市 一條智美さん 選者 俵 万智)

 2021年も僅かです。

頑張りましょう!