東ティモール通信 No.37

日本の皆様、こんにちは。日本滞在中は、本当にありがとうございました!たくさんの方にお会いし、元気を充電する事が出来ました。また1年間、頑張ろうと思います。今月のレポートでは、嬉しかった事と悲しかった事を書かせて頂きました。毎日を楽しく過ごす事って容易ではないですね。

嬉しかった事は、新しい事業の実施に向けて、村落調査を実施し、新たな段階に入った事。悲しかった事は、AFMETがこれまで本当にお世話になったジュスティーノさんが、帰天された事です。

*新しい事業の実施に向けて-2-*

前回のレポートで、新しい事業はバウカウ県で実施したいと考えている、という事を書かせて頂きましたが、なぜバウカウ県なのか?を書いていなかったので、その点を説明したいと思います。きっかけとなったのは、昔からAFMETがお世話になっている、サレジオ会のジョジョ神父です。ジョジョ神父は現在、バウカウ県のケリカイ準郡に在住しており、AFMETの副理事長である山口道孝神父と共に、これまでも、何度か訪問した事がありました。私が在住しているラウテン県から南西へ約80キロ、悪路な山道を越え、東ティモールで2番目に高い山・マテビアン山の麓にあるのがケリカイです。バウカウ県の中心地からは30キロほど離れており、水、道路、電気などのインフラは、ほとんど整備されていません。人々の厳しい生活状況をよく理解しているジョジョ神父から、ラウテン県での経験を活かし、ケリカイ準郡で衛生環境改善の支援をしてくれるよう、依頼されたのです。

8月にジョジョ神父を訪問した際、住民の生活環境・役所の動き・保健局の状況などについて聞き、また、村々を訪問して、人々の生活の現状を知る機会を得ました。出会ったお母さんの一人からは、水が無く、遠い水源まで毎日バケツを持って水汲みに行っている辛さを聞きました。村落生活基準調査を何か所かの村で実施し、より詳細な情報を手に入れる約束をし、ロスパロスまでの帰路に着きました。車中では、一緒に村を訪問したスタッフが、「あんなに生活環境の悪い村がティモールにまだあるなんて…」と言っていました。首都ディリからも遠く、道が悪いために、政府からの支援も限られたものになっているようです。

10月1日から4日間、ケリカイ準郡にある3つの村(ケリカイ準群の中心にあるバギア村、そこから約35キロ離れたナマネイ村、約30キロ離れたレラライ村)計127世帯で村落生活基準調査を実施する事が出来ました。サーベイの項目は、日々の生活と収入、公共機関へのアクセス、病気に対する知識の3つに分かれています。5名のスタッフで1軒1軒、家を訪問して行いました。排泄はどうしているか、水はどこから汲んで来ているのかも尋ね、実際に足を運び、目で確認する事も行いました。住民の方々は、他の県からわざわざここまで来てくれたのか!と私たちに興味津々で、「こんな家だけど…」と恥ずかしながらも嬉しそうに、あたたかく迎えてくれ、質問に対して真剣に応えてくれました。

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↑住民へのインタビュー中。
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↑乾きかけている水源から水を汲むおばあちゃん。

トイレを使用している世帯は、全体の7%(9軒)のみ。その他の世帯(93%、118軒)は森や茂みで排泄を行っています。当然、水道のある家もないので、レラライ村で、水源を実際に見に行ってみると、たくさんの人たちが水源に竹を取り付けて水浴びや洗濯をしており、話を聞く事が出来ました。家から子どもを抱えて1時間かけて水汲みに来ているお母さん、2時間かけて水浴びに来たという子ども達…。子ども達は、「(2時間かけて水汲みに来ることは)もう慣れちゃったよ!朝4時半には起きて、水汲みに来るよ。そうしないと学校に遅れちゃうもん!」と笑顔で応えてくれました。

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↑水汲み場で出会った、水浴びをしている女の子(写真左)
↑豚小屋に足場を組んで、ここで排泄を行っている(写真右)

水源で出会った家族のお宅まで、ジェリゲン(水を入れる容器)を1つだけ運ぶ手伝いをしたのですが、坂道を上がらなければならないため、息は上がるし、手は痛くなるし、この坂道は本当に終わるのか…?と泣きたくなってしまうくらい辛いものでした。道の途中で何度も休憩してしまい、逆に迷惑をかけてしまいました。ジェリゲン1つでもこんなに辛いのに、一日に何回この坂を行ったり来たりしているのでしょう…。ナマネイ村で訪問した、ある世帯では、「水を2006年に引いてもらったのだけど、最近水が出なくなってしまった…」と言っており、水源まで足を運んでみると、途中のパイプが壊され、1つの世帯が水を占領しているという悲しい事実が判明しました。水汲みに行っている世帯は全体の69%。そのうち、70%の世帯は片道500m以上の道のりを歩いています。住民の中で、“全員が使う水”という意識、管理する組織や体制がなければ、水を引いても壊され、放置され、結局同じ事の繰り返しである事を痛感しました。

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↑パイプを壊してしまった家庭の女の子。他の家庭まで水が届かない。
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↑水汲みを手伝う少年。

調査終了後は、村の村長、集落長、女性グループのリーダー、男性グループのリーダー、青少年グループのリーダー、教会運営グループのリーダー達を集め、2020年までの夢、他の村との違い(良い面、悪い面)、村の現状で直したい事とその優先順位、これまでどんな支援を受けた事があるかを話し合ってもらいました。私が一番驚いたのは、直したい村の現状の優先順位をつける際、「道路や電気が無くたって生きていけるけれど、水が無いと生きていけない!」と多くの人が考え、「水へのアクセス」が村の現状で直したい事の1位に上がった事でした。2位は「健康」でした。住民の、“健康でありたい”という意識が高く、もし水を引ける事になった場合は全員が協力して管理したいとも話してくれました。

今後は、このサーベイの結果を踏まえて活動提案書を作成し、支援先を探す作業に入ります。ケリカイ準郡で出会った人々のためにも、支援先を見つけ、彼らの衛生環境を改善する事業を、実施したいです。

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↑ジュスティーノさんの棺を運ぶ。自宅があるティティラリ集落にて。
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↑ジュスティーノさんと最後のお別れ。

*ジュスティーノさんの死*

ジュスティーノさんは、AFMETを支え続けてくれた、大切な大切な存在でした。表に出てくる事は無く、裏方に徹し、私たちの意見を尊重しながら、正確なアドバイスをくれる。そんな人でした。私は、今年4月、AFMETの土地を地主に返還する際に(通信32通目)意見を求め、作成した書類の確認をお願いし、彼は、署名式にも参加して下さいました。現地スタッフの中でもジュスティーノさんに対する信頼は高く、ローカル化に向け、将来、AFMETのアドバイザーになってもらえるよう、依頼をしていました。ジュスティーノさんが肝臓ガンである事は、日本滞在中、スタッフからかかってきた電話で知りました。「理事長と一緒に(私が日本に滞在している間、AFMETの理事長がティモールを訪問していました)ジュスティーノさんを訪問して来た。だけど5分も話せなかった…。かなり悪い状態だと思う…」。スタッフも、ショックを隠せない様子でした。ジュスティーノさんは、1年前に、ディリでオーストラリア人医師を受診、肝臓ガンである事を告知されましたが、一緒に仕事をしている仲間には心配をかけたくないと、家族にのみ、知らせていたそうです。

11月26日、スタッフとディリで打ち合わせをしている時に、ジュスティーノさんが帰天したと、家族から電話がかかってきました。いつかは必ずさよならを言わなければいけないと、頭では分かっていても、嫌だという気持ちを止める事は、難しいです。もっと感謝を伝えたかった、これからのAFMETを見ていて欲しかった、そんな一方的な想いが、止められないのです。

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↑家族から頂いたジュスティーノさんの写真。
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↑献花後、ろうそくを燃やす。

12月1日朝、ジュスティーノさんの埋葬が行われました。イギリスに出稼ぎに行っていた息子の帰りを待っての埋葬でした。ジュスティーノさんのために行われたミサの中で、神父様は言っていました。「地上での、彼との、最後のミサです。残された私たちにとっては、とても悲しい事だけれど、私たちは彼を祝わなければいけない。彼は、天国で、神様の傍で、永遠の命を生き続けるのだから」。

ジュスティーノさんは生前、病気と闘いながら、家族に対し、「生きたい、生き続けたいけれど、神様に御旨に従う。自分の命は、神様の御手の内にあるから。」と言っていたそうです。自分の国、ティモールのために生きた60年。最後に、彼は何を想ったのでしょうか。ジュスティーノさんの役目、ジュスティーノさんの意思、ジュスティーノさんの夢…。バトンを渡された家族にとっては、ここからがスタートとなるでしょう。彼が残した想いを、夢を、ふとくつよく、紡いでいって欲しいです。

去年4月に亡くなったスタッフ、アジェさんの奥さんのお兄さんであるジュスティーノさん。二人が天国で再会し、笑い合えていますように…。

2014.12.15

【 筆者紹介 : 深堀夢衣さん 】
深堀さんは、AFMETの現地事務所代表。
愛くるしく逞しく、どこまでも人々に優しい女性。
AMR(アマゾネスめひリアリダデ)は、そんな深堀さんの愛称!
みんなの夢を実現するため明るく力いつぱい頑張っています。