月間報告 12月 2012.12 「引き継がれていく思い」

「転機」

長年続いてきたAFMETのプロジェクトが、来年2月に転機を迎えます。
現在は国際協力機構(JICA)から活動資金が出ていますが、その契約が2月で切れるのです。

AFMETがこの場所に来て活動を始めて10年以上。前回のJICAのプロジェクトが終わった2年前から、そろそろ主導権を日本人ではなく東ティモール人にバトンタッチしていこうという話が出ていました。出来ることは、少しずつ現地に移譲していく。外国人に頼ってばかりではなく、自分たちの力で歩きだす、そういう体制を築いていきたいと思っていたのです。

「準備」

2月を目の前に控え、今色々と準備をしていますが、今まで続いていたものがいったん切れるというのは思ったより大変なことです。現地で資金を調達するための情報集め、AFMETクリニックの運営を政府に任せるための準備、スタッフの退職手続き、退職に当たっての説明・・・・どれも私にとって今までしたことのない事です。

そしてその中にAFMETの建物が建っている土地の問題の解決というものもありました。

AFMETは、土地に対してお金を払っているわけではありません。約14年前、今の場所で本格的に活動を始める時に
「クリニックをつくって住民の為に働いてくれるなら・・・」と、ある人が無料で使用を許可してくれたという話は聞いたことがありましたが、私はそれが誰なのか、どんな人なのか、今まであったこともありませんでした。

それに、今東ティモールは少しずつ法の整備が行われ、土地に関しては各地で問題が発生しています。日ごろ、ロスパロス人と一緒に仕事をしている感じでも、ひと騒動あるかも・・・という懸念は消せませんでした。そんな状況でこの土地はAFMETがいる限り、AFMETのものだとう内容の書類のサインを取るというのは、私にとってはかなり気が重くなる任務でした。
「リュウライ」

土地に関する、日本語で作られた書類を私が知る限りのテトゥン語で訳し、私が会いに行ったのは近くの村に住むジュスティーノ・ヴァレンティンさん。私たちが住んでいる地域では有名な人で、とても優しく、様々な知識を持ったおじさんです。現在は、ロスパロスの文化の研究をされていて、消えてしまいそうな言葉や習慣を保護するために働いています。彼はAFMET立ち上げの時のことも良く知っていて、土地の事に関しては誰がどのように話したか、色々な歴史を話してくれました。

東ティモールにはリュウライと呼ばれる土地の権力者が居ます。リュウライはそれぞれの地域に存在していて、AFMETの土地はベリシモさんというリュウライのものでした。ベリシモさんは99年、インドネシア時代に殺されてしまいました。しかし、亡くなる前にこの土地の使用に関して彼が話したこと、それは、
「自分の土地には、家族以外誰にも住んでほしくない。しかし、AFMETがここで弱い、力のない人達の助けになってくれるなら、ここで働いている限りこの土地はAFMETのものとして自由に使ってくれて構わない。」

ジュスティーノさんはベリシモさんの言ったことを書面に起こしてくれました。私の間違っているテトゥン語を直しながら、書類を作り、
「AFMETにベリシモの家族を呼んで、食事をしながらでもゆっくり話したらいいよ。土地の問題は繊細だから、アプローチを間違ったらそこでおしまいになってしまう。でも、AFMETとして家族のように思っている、という意志を示していけば、大丈夫。僕も協力するから。事前に知らせに行くのは、そうだな、ジョゼに行かせたらいい。」ジョゼは彼らと同じ部族だからつながりもある。」

「ジョゼ」

ジョゼというのはスタッフのアジェさんのことです。ロスパロスには、4つの階級があり、階級の中でも部族で分かれています。アジェさんやベリシモさん一家の部族はラトゥロホと言うもの。アポを取ったり、事情を話したりするにあたって、信頼性のある人物がいることは重要なポイントです。

ベリシモさんが亡くなり、家族の代表となったのは妻のオリンダさんとベリシモさんの弟の子供、アウレリオさん。私たちはお二人に会いに行きましたがあいにくインドネシアに行っていて会うことができませんでした。そこで、アジェさんが私を連れて行ってくれたのはベリシモさんと妻オリンダさんの長男、カンシオさん。私はどんな話をしたらいいのか・・・と緊張していましたが、彼はとてもフレンドリーな感じの人でした。

「合意」

「AFMETで今度お食事会をするから、ご招待したいと思って。」

「あぁ、そうだな、もし自分が行けなくてもだれか代わりを送るよ。」

「あぁ・・・っと。できれば、カンシオさんに来てもらいたいのですが。」

「なんで?何か話でもあるの?」・・・

どうしたらいいのか分からなくなった所で、アジェさんが、

「実は、土地のことできみたち家族と合意書を作りたいんだ。内容はこういうものなんだけど・・・」

カンシオさんはじっとその書類を見ていました。どうしよう、もし、こんなものにサインできないって言われちゃったら・・・!と緊張していると・・・

「うん、父の言葉通りだ。アウレリオ兄さんには、僕から話しておくし、兄さんはまだ当分帰ってこないと思うから僕が代筆でサインをするよ。本当は僕たちが書類を作らなければならないところなのに、作ってもらって感謝するよ。AFMETがあの場所にいる限り、あの土地は自由に使ってくれていい。AFMETが誰とパートナーを組んで仕事しようと、自由だよ。」

数日後、私たちは無事にサインを交わすことができました。その時、この合意の証人となってくれたのが、近くのアサライノ集落の前集落長マニュエル・シストさん、それから、ジュスティーノさん。サインの前に、AFMETがここに建った経緯をもう一度みんなで確認しました。私の全く知らない人達。私の全くしらない昔の話。私以上に思いを持ってAFMETを見守ってくれていた人達。今まで、小さな問題が起こるごとに色々悩んだりしていましたが、こんなに力強い味方がいたということにまず感動。それから、AFMETにはこの人たちの思いが詰まっていて、私がつい「なんなのこの人たちは!!!!!!」と怒りを爆発させてしまうこのロスパロスの住民の為に仕事をしなさいって任務を担っていたんだなと・・・私は、何も知らずに自分勝手な判断や行動をしていたこともあったと反省しました。また、こうしてちゃんとした歴史を知ることで、誰が的外れで、誰が適切なのかというのもはっきりと見えるようになりました。みんな、ここに仕事にきた理由がある。一見無意味に見えても、その人には大きな役割があったり。とにかく、私にとって地主との出会いはAFMETの存在する意味、始まりから今までをクリアに見せてくれました。私の見えなかった所でリュウライ・ベリシモさんの思いをみんなが引き継いできていたのです。

「繋ぐ」

人の為に自分にできることをしたベリシモさんのシンプルな行動。私も、その思いを自分なりに継いで行きたいと思いました。それから、AFMETが地域に受け入れられ、共存しているわけ。ベリシモさんが信じ、自分の土地を提供してまでここで活動してもらいたいと思った日本人の医療チーム。独立前、まだ今のように病院が機能していない時に、人々の診療をしていた医師シスター亀崎のチームです。「シスターが来てくれ、医療活動を始め、そしてAFMETが立ち上がって保健のプロジェクトが始まって、ここでは結核やマラリアが本当に減ったと感じるよ。困っていた時、本当に心強い助けだった。僕たちは、AFMETの事を信じてるんだ。

月日が経ち、人が変わっていくと昔のストーリーは風化されてしまったりします。でも、今回知ったこのストーリーを、この先も新しく来る人達につないでいきたい。こんな素晴らしいことを知らせてくれた「書類作り」という気が重い任務と、素敵な歴史を語り、私を助けてくれたジュスティーノさんに感謝です。もちろん、今回私が出会った全ての人にも!活動の形は変わっても、リードする人が変わっても、これからも思いを引き継いで、AFMETの任務は続いていきます。みんなの温かい思いが私にも伝わって、心が温かくなっていくのを感じます。

20/Dec/2012

【 筆者紹介 : 渡邊さん 】
渡邊さんは、特定非営利活動法人 東ティモール医療の会(AFMET)の目ぢからいっぱい、まんまる瞳の看護師さん。2008年から東部のロスパロスにて住民の皆さんに自らの健康は自ら守るため、また、医療サービスから遠い村で保健ボランティアを育成し、彼らを中心に村の中での健康や衛生に関する教育などの普及に努めています。