マンゴー大豊作!の年

お目当て

つい先月のことも、年が変わってもう去年の話になってしまいますが、2011年はマンゴー大豊作の年でした。娘が産まれてから初めて里帰り をした10月、どこのマンゴーの木にも、これでもかというほどに実がぶら下がっていました。残念ながらその実はまだ固く、熟れるまでもうしばらくおあず け、あと1、2か月後というぐらいでした。そして待ちに待ったクリスマスの里帰り!「全部食べるなよ、残しておけよ!」と弟や妹たちに電話で念を押して押 しまくった後の帰省ということで、私の頭の中はマンゴーのことでいっぱい。家に着いて挨拶もそこそこに、マンゴーを見にに行ったわけです。残念なことに、 そのほとんどは弟たちや鳥に食べられたり、風に吹かれて落ちてしまったりしていましたが、それでも毎日1個と言わず、5個も10個ものマンゴーを楽しむこ とができました。日本では1つを家族で分け会って食べるぐらい、めったにお目にかかれない果物なだけに、お腹がいっぱいになろうが、次の日お腹が痛くなろ うが、食べに食べました。

在るがまま

肥料をやるわけでもなく、限りなくほったらかしにされているこのマンゴーの木々。それなので、実るか実らないかは植物次第、気候にも大きく 左右されます。思い返せば、おととしはこんなにたくさんのマンゴーは実っていませんでした。豊作の年があれば、不作の年もある。それでも、何年かに一回 は、必ずこうして元気よく実をたくさんつける時があるのです。考えてみるまでもなく、それがきっとふつうのこと。私たち人間もずっと歩き続けることはでき ず、休んだり食べたりもして、力を蓄える必要があるのと同じことで、植物にも休みの時が必要なのです。

マンゴーに学ぶ

消費社会の中で、私たちの需要を満たすために、そして利益を得るためにも、大量に生産されることが求められ、いろんな研究もなされたりし て、いつでもどこでも(夏でも冬でも、地球の真反対の国でも、隣の国でも)同じ味の果物や野菜が市場に出回っています。そして、私はそれを普通で自然のこ とのように受け入れてしまっていて、何の疑問も湧いてはきませんでした。たとえば、寒い季節に、何で食べ頃に熟れた南国の果物を食べることができるの?と か。

東ティモールで、こうして野放しにされているマンゴーを食べて改めて知ったこと、それは、植物には「時期」があって、一年中いつでも手に入 るものではなく、「その時」がやってきたときだけ、その恩恵を受けることができるということ。本来、果物はそんなに甘――くないもので、もうひと超え甘 かったら・・・と感じる程度に素朴で、でも力強い味がすること。表面は黒い点々があったり、くすんでいたり、傷がついていたりして、ぴかぴかには光っては いないということ。考えてみれば当たり前のことかもしれませんが、ものすごく大切なことを知ったような気持ちになりました。

tayori-12

以前パパイアの木、今度はマンゴーの木に登って(登らされて)実を収穫する弟。この写真で、マンゴーの大豊作、わかっていただけるでしょうか?

2012年1月13日

【 筆者紹介 : なっちゃん 】
なっちゃんは、東ティモール人のご主人との間に可愛い女の赤ちゃんに恵まれ(2011年誕生)子育て奮闘中の日本人ママです。当協会の現地通信員でもあります。なっちゃんの見た今の東ティモールをお届します。ご期待下さい。