母校の昭和女子大で登山家の田部井淳子さんを送る会
=グスマン前首相から弔意メッセージ 田部井淳子さんらしい前向きな送る会に沢山の人々=

2016年10月20日に77歳で亡くなられた世界最高峰のエレベスト(8848メートル)に女性として初めて登頂された登山家の田部井淳子さん。本年6月、インドネシアのスマトラ島最高峰クリンチ山(3805メートル)登頂が、最後の海外登山となりました。
東ティモールの最高峰ラメラウ山(2963メートル:2014年9月14日登頂)を含む世界76ヵ国の最高峰を登頂されました。
まさに「山を愛し続けた田部井淳子さん、77年の生涯」でした。

田部井淳子さんは、
「笑顔と闘志、あわせもって生きた人」(エベレスト日本女子登山隊 北村節子さん)
「自分の脚で立つことをおしえてもらいました」(山岳ジャーナリスト 柏 澄子さん)
「一歩一歩の田部井さん」(俳優 市毛良枝さん)
「本当に本当に山が好きな母だった」(長男 田部井進也さん)

12月18日、母校の昭和女子大学グリーンホールにて行われた田部井淳子さんらしい前向きな送る会には、ふるさとの福島県三春町をはじめ全国から老若男女沢山の皆さんが駆けつけました。外国から来られた皆さんもおられます。

送る会にて、グスマン前首相からの温かい弔意メッセージが披露されました。

田部井淳子さん・ご主人の政伸さんたちラメラウ山に登頂された一行は、登頂の翌日(2014.9.15)グスマン首相(当時)に会われ、歓談されています。

グスマン首相は、「めったに日本人が登りに来ない山に、グループで登りに来てくれたことが本当にうれしいです」(田部井淳子著「それでもわたしは山に登る」:文春文庫)と大変喜ばれたとのことです。

お別れのメッセージには、田部井淳子さんご自身の情熱そして他人の内に存する情熱を勇気づけ引き出す田部井淳子さんの力に感動された旨も記されています。

送る会の正面に設置された大きなスクリーンには、グスマン首相が田部井淳子さんを強くハグされる写真が映し出されました。

送る会当日発刊された田部井淳子さんの最後の著書「再発!それでもわたしは山に登る」(文藝春秋社刊)には、次のような記述があります。
「独立戦争時の革命闘士としてのかつての厳しい顔を革命記念館で見ていたので、私たちはちょっと緊張して首相官邸に入ったのだが、部屋に入ってきたグスマン首相は白いヒゲをつけた温厚そうなおじさんで、入るなり一人一人にハグをし、写真を撮り、お土産としてここでもそれぞれにタイスを首からかけてくれたのでびっくりした。首相の陽気で気さくな人柄に全員が大感激だった。

 東ティモールのラメラウ山は私の七十一ヵ国目の最高峰になり、緑も多く、忘れ得ない国、山となった。」

送る会に出席された皆さんに配布された田部井淳子さんの足跡をまとめた冊子の表紙には次のような田部井淳子さんの言葉が力強く書かれています:
「一番大切なものは、
本当に行くんだ、
本当にやるんだという意志なんです」

田部井淳子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。