おおらかな感覚
東ティモールへ行って間もない頃、こちらでの公用語であるテトゥン語を勉強していた時のこと。
教科書に「東ティモールでは、ちょう どの時間から30分までは、全て‘○○時半’という。」と書いてあって、「なんておおざっぱなんだ!」と面白く読んだのを覚えています。例えば、1時から 1時30分までの時間の表し方は、1時10分であれ、1時25分であれ、「1時半」なのだそうです。
当初はにわかに信じられなかったそれは、東ティモールで暮らすうち、だんだんと現実味を帯びてきました。
「今何時?」と聞いても、「3時半」とか、「7時近い」とか、なんだか曖昧な返事。1時、2時のだいたいの時間は感覚で分かるし、大事なのは分だよ、分!!相手の時計を掴んで見ると、???・・・1時間遅い??「インドネシアの時間に合わせているんだよー、あっはっは。」
「多分6時頃」なんて予測発言に、彼の携帯電話をのぞくと、日付からして1月1日、確実におかしい。「いやー、長いこと充電してなかったからー。今合わせるから、時間教えて!」時間を知りたいのは私だったはず・・・。
環境がそうさせている?
そうかと思えば、きっちり約束の時間を守る人、それより前にスタンバイしている人もいるので一概には言えませんが、時間におおらか、という のは国民性かもしれません。もしくは取り巻く環境がそうさせるのでしょうか。時刻表がなく、乗客がいっぱいになったら出発するバスでは、約束の時間なんて 決めようにも決められません。昨日の雨で川の水嵩が上がり、横切るのに思わぬ時間がかかることもあるし、急いでいるからタクシーで!と思って乗り込んだ ら、途中でガソリンスタンドによられて・・・、エンストして・・・なんてこともあります。私も何度この目に合って遅刻したことか。時間がアバウトにならざ るを得ない状況もあるようです。
そんな日常に慣れ親しんでしまった頃、日本の方にお会いすることがあると、各自の時計を見合わせながら、「私の時計で3時20分なので、15分休憩をとって、こちらに3時35分に集まりましょう。
「私の時計は2分進んでいるから37分ね。」なんてやりとりに、あぁ、この感じ久しぶりだなぁとしみじみしたものです。
さて日本にて先日、ご近所さんから主人に明日の集合時間を知らせる電話が。「朝8時50分」の集合時間に、主人は「あぁ、8時前ね!」と答えたので、「そうじゃなくて、50分、日本で50分と言ったら本当に50分!」と強調した私。
またすぐその後から、別のご近所さんから電話で、「明日は50分に集合じゃけ、45分にうちに来て、車で一緒に行こう。」なんて言われたものだから、主人は遂に噴出してしまいました・・・。
初めて東京の地に降り立ち、地下鉄の構内を急ぎ歩く人々を見て、「蟻のようだ!」と形容した主人。分刻みにきっちりやってくる電車。少しだ け時間を忘れて、ゆっくり一息入れられたらなー、との思いに駆られることもありますが、日本人の律儀さ、正確さは長所で、信頼のおけるものでもあります。
時間を忘れてのんびり、ゆったりの裏で、約束したけど、本当に来るのかな?あの予約、大丈夫かな??と、東ティモールで度々味わったあの不 確実さ、不安さは、日本人の「あと5分で着きます!」とか、「明日、約束の時間に必ず行きます。」の律儀な連絡に、今癒されているところです。
2012年8月18日
なっちゃんは、東ティモール人のご主人との間に可愛い女の赤ちゃんに恵まれ(2011年誕生)子育て奮闘中の日本人ママです。当協会の現地通信員でもあります。なっちゃんの見た今の東ティモールをお届します。ご期待下さい。