東ティモール通信 No.32

日本の皆様、こんにちは。私の東ティモールのお父さんであったアジェさんが亡くなってから、4月9日で1年が経ちました。自分にとって、人の死を “受け入れる”事が、どれだけ大変かを感じる1年間でした。止められない時間の中で、心に蓋を閉めるようにいつの間にか忘れてしまうことがないよう、起こ る物事に対して敏感に感じ、流さずに受け止めて、消化できる自分でありたいです。アジェさんの一周忌については、来月のレポートで詳しく書かせて頂きま す!

今回は、これまでAFMETが借りていた土地を地主さんに返還した事、また、プロジェクトの経過について分かち合わせて頂こうと思います。

*AFMETの活動地の返還*

私が所属しているNGO AFMET(Alliance of Friends for Medical-care in East Timor)は、東ティモールが独立を求めてインドネシアと戦っている1999年に発足され、ラウテン県住民のために、プライマリー・ヘルス・ケア活動を 行ってきました。活動地の地主であるアメリオさんが、ラウテン県住民のための活動をAFMETが実施するのであれば、使用する必要がなくなるまで無料で土 地を貸し出すと約束して下さったため、AFMETのクリニックと事務所兼日本人スタッフの住居を建設することができ、クリニックの運営、結核患者のケア、 JICA事業など、これまで様々な活動を行うことができました。派遣された日本人が、この土地でティモール人と出会い、共に生き、ときにぶつかり、泣き、 笑い、本当にたくさんの思い出が詰まった場所です。そんな場所での活動が、まさか私の代で終わることになると、誰が予想出来たでしょうか。

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↑焼けた事務所兼住居。左手にクリニックがある。

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↑事務所内。金庫以外のものは全て焼失してしまった。

2013年9月16日、AFMETの事務所兼住居は全焼しました。発火原因はネズミが電気配線を齧ったことによる漏電。当時、スタッフも私も外 回りの仕事に出ており、私はたまたま出会った乗合バスの運転手さんから、火災を知らされました。ティモールで鍛えられて肝が据わったのか、「大変だ、早く 消化活動しに戻らなきゃ…」という感じで、あまりパニック状態に陥ってなかったのを覚えています(もちろん猛スピードで車を飛ばして帰りましたが)。今で も、車から見た景色、黒い煙、窓・ドアから燃え上がる赤い炎、私を見つけて駆けてきた飼い犬たち、野次馬の人だかり、事態を目の当たりにして尋常じゃない ほど震えた自分の手、鮮明に思い出すことが出来ます。

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↑残った金庫から出てきたパスポートとアジェさんとの写真。アジェさんが亡くなってから、常に持ち歩いていました。

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↑事務所兼住居の解体作業

地主であるアメリオさんに連絡を取り、AFMETの現地代表と共に会いに行きました。地主のアメリオさんは、漏電が起きたという事実、 AFMETがこれまで電気配線のメンテナンスを怠っていたことに対し、非常にショックがっていました。建設から10年以上経過している中、メンテナンスを 怠ってきたのは、間違いなく私たちAFMETの落ち度です。ですが、東ティモールで電気配線のメンテナンスを行うと、保険もないこの地では、非常に高いお 金が必要になり、事業の予算内でカバーすることも難しいという現実がありました。火災後、東京で会議が行われ、AFMETの現在の状態では、同じ土地に新 しく事務所兼住居を建設するのは難しく、地主に土地を返還することが最良の決定であるという結果に至りました。アメリオさんにその旨を伝えたところ、 AFMETが土地から撤退するのであれば、火災を免れたクリニックの土地も、一緒に返して欲しいとのことでした。

事務所兼住居の隣にあるAFMETクリニックは、2013年2月28日に県保健局へと移譲していましたが、移譲の際の契約内容は、AFMETが 存在するまで、政府に建物を貸し出すというものであり、地主であるアメリオさんは、以前、政府に別の土地をクリニック建設のために提供していると言うので す。その土地を見に行ってみると、内戦時の混乱で、現在は一般住民が旧クリニックの建物に住み着いてしまっていました。彼らを立ち退きさせ、その地・建物 を補修してクリニックとして使用すべきというのがアメリオさんの意見でした。しかし、政府にとって、AFMETクリニックの土地を地主に返還する=現クリ ニックを閉じ、住み着いている住民を撤退させて新しく運営を開始することは、根気のいる作業であり、住民からの反感を買いかねません。この土地の人の気性 を考えると、石を投げて猛反発する可能性もあり得るのです。地主さん、県保健局局長各人との話し合いは、何度も行われました。県保健局局長は約束をすっぽ かすことが多く、日程を決めて当日保健局に行っても誰もいないことがあり、アメリオさんと共に落胆することもありました。

また、これまで、土地に関する事柄は、AFMET創設時からのスタッフであったアジェさんが中心となって行ってくれており、土地を借りることに なったプロセスなどを詳しく知っているのはアジェさんなので、いつも意見を求めていました。アジェさんが亡くなった今、土地のことなど何も知らない私は、 誰に何を聞いたら良いのかわからず、返還する際に必要な書類もどこから準備すれば良いのか、オフィシャルな文書の書き方はどうなのか、保証人はだれにすべ きかなども不明なため、正直に言うと、嫌になり投げ出したくなることが何度もありました。それでも頑張れたのは、現在いるスタッフがそれぞれ出来ることを 行ってくれ、私の抱える困惑についていつも耳を傾けてアドバイスをくれたからです。日本のAFMETの問題だと考えて放棄するのではなく、AFMET全体 の事と捉え、それぞれのスタッフが活躍してくれた事が、なによりも嬉しく、自分の励みになりました。

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↑合意書署名式後の様子。県保健局で。

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↑合意書に署名する地主のアメリオさん。

努力が実り、今月3日、AFMET創設の中心となって活躍した現副理事長が東ティモールを訪れ、地主・県保健局・AFMETの三者で会談が行わ れました。AFMETは土地を返還し、クリニックの土地に関しては、AFMET抜きで地主と県保健局で改めて覚書を交わすことになり、合意書の署名に至っ たのです。地主のアメリオさんは、「将来、土地に関して援助が必要であれば、いつでも私のところへ来てください」と言って下さいました。心からの謝罪と感 謝と共に、アメリオさんの土地での15年間のAFMETの活動は、こうして幕を閉じました。

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↑移動後の事務所内。

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↑現在いるスタッフ。左からリト(テクニカルスタッフ)、現在は政府に土地を借りて活動している。   ジュベ(現地代表)、フレイタス(テクニカルスタッフ)

現在、私たちは市内へと移動し、政府の土地を借りて活動しています。場所は変わっても、“ティモール人のために”という想いは、これからも変わりません。

副理事長滞在中は、スタッフたちを含めて将来の組織構成などについても話し合うことが出来、実りある時間になりました。ローカル化を進める話も 出ていましたが、今後も日本と関わりたいと思っているスタッフたちのために、私は本部と現地をつなぐ架け橋となって、お互いが想いを常に共有できる関係で いられるように努力しようと思います。

*かまどが焼けない!*

プロジェクトの終了が残りわずかに迫った今月、型を使用して新しいモデルのかまどを製造し、残すは焼く過程だけ…と思っていたのですが、とんで もない問題と向き合わなければならなくなってしまいました。とんでもない問題とは、「天候」です。 かまどは形にしてから乾燥させ、乾いてから焼きます。この乾燥のプロセスが、天候の影響でうまくいかず、かまどが焼けない状態にあります。形になったかま どは、良く乾燥させてから焼かなければ、黒く焦げ、すぐにヒビが入ってしまい、使い物になりません。煙を吸う効果も無くなってしまいます。乾燥はとても大 切なプロセスの一部なのです。

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↑新しいタイプのかまど!どうですか!?

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↑良く乾燥しきっておらず、焦げてヒビ割れてしまった…。

このままAHISAUNという、以前技術トレーニングを受けた組織からかまどを購入し、残り344世帯に配布することも考えましたが、それでは 女性グループのメンバーの技術向上には繋がらず、これまで一緒にしてきた苦労が全て水の泡になってしまいます。まだあきらめたくない私たちは、支援先であ るHIVOSと交渉し、プロジェクト終了を2ヵ月先の6月まで延ばして頂くことになりました。残り2ヵ月で良い結果が出せなければ、かまどの製造をあきら め、購入しなければいけません。現在は、別の土を使用して試作品を作っているところです。こちらも乾燥のプロセスが必要なので、すぐに結果が出ないのが、 もどかしくてしょうがないです…。AHISAUNにも協力を依頼し、残り2ヵ月で出来ることは全て、結果を考えながら、実行しようと思います。

21/Apr/2014

【 筆者紹介 : 深堀夢衣さん 】
深堀さんは、AFMETの現地事務所代表。
愛くるしく逞しく、どこまでも人々に優しい女性。
AMR(アマゾネスめひリアリダデ)は、そんな深堀さんの愛称!
みんなの夢を実現するため明るく力いつぱい頑張っています。